大阪の串カツ
だいぶ前の話になりますが
それは9月下旬ごろ
退院後の経過観察、岡山の病院の外来に行きました。
姉に付き合ってもらって
東京駅から新幹線に乗って
お昼どうしようか〜?
という話になって
新大阪で途中下車して、駅の構内で何か食べようということに。
新大阪の新幹線改札内には「大阪のれんめぐり」という、大阪粉もんなどを食べられるところがあって、いくつかテナントが入っています。
新幹線の改札を出なくても、こんなお店があって便利ね〜(^O^)
そこで「だるま」という串カツのお店に入りました。
それぞれ4本ずつ頼んで、キャベツを食べながら待ちます。キャベツは手で持ってソースをつけていただきます。
頼んだ串カツがきました〜〜
ぜんぶ同じトレーに乗せられてきたため、どれがなにか、私と姉のどっちが頼んだものか、分からなくなりました(笑)
とりあえず、食べてみることに。
姉は肉が食べられないため、とりあえず自分が頼んだ豚肉と思われるものに狙いを定めて・・・
ソースは二度づけ厳禁よ!
サクッとしててアツアツで美味しい〜
しかも、これ、豚肉だったよ〜あたり〜
なんて言いながら、最後の方になって衣がはがれて中身が見えてきたら・・・
なんと、それはイカでした( ̄◇ ̄;)
ごめーん
姉が頼んだイカ食べちゃったよ〜
まったく、肉かイカかも分からないなんて〜
そのあとも、肉だと思って食べてたら、タコだったり
姉が頼んだ紅ショウガはどれだったのか分からなかったり
呆れるほどの味覚オンチぶりに大笑い( ̄∇ ̄)
違うヤツ食べちゃってゴメンよ〜m(_ _)m
初めて大阪串カツ食べたので、しきたりが分からず戸惑いましたが。
また行きたいです。
今度は改札の外のお店にね(^з^)-☆
美術検定の敗因を考える
敗因って、まだ不合格って決まったわけじゃないけど。
反省しきりです。
まず、自分、緊張しすぎ。
放送大学の単位認定試験の10倍緊張してしまった。
1問目から順に解答を書いていったんだけど
最初にすべての問題に目を通すべきでした。
そして、大きい問題から解答を書くべきでしたね。
小さい問題の2問目が、琳派に関すること。
大きい問題の1問目が、ルネサンスに関すること。
どちらかというと得意なところだったので
あれも書こうこれも書こう
かっこいい文章にしよう
などというイヤラシイ考えを起こしてしまって
最後にはマス目が足りなくなりそうになって書き直したり
熱くなりすぎました。
しかも、尾形光琳の名前の漢字を間違えちゃったし。
文章以前の問題よね。
恥ずかしいわ
・・・(/ω\)ハズカシーィ
苦手とする現代アートからの問題が出なくて
ルネサンスなんて書きやすいテーマだったのに
もったいないことしちゃったなぁ〜(´;ω;`)
試験直後は
「もう来年は受けなくていいや」
なんて思ってたけど
また来年に向けてお勉強しようと思います。
手始めに「芸術新潮」買ってきたよ(←カタチから入るヒト)
でも、もしかしたら合格なんかしちゃって
来年は検定受けないかもしれないし( ̄∀ ̄)
美術展の感想をブログに書く前に、これからはまず手書きで原稿を書いてみることにします。
文章を手で書く訓練しないとね(`・-・´)ゞ
美術検定 1級
本日、とうとう美術検定1級を受けてきました。
結果は・・・
やっぱりだめだこりゃ_| ̄|○
です。
受かる気がしなかったもんなぁ
問題は、小さい記述式2問と大きい記述式2問の計4問です。
試験時間は90分。
小さい記述式に時間かけ過ぎたわ。
それよりも、緊張で手が震えるのよ〜
右手がぶるぶるして字が書けないの〜
それでもなんとか最後の問題までたどりついて
小学生にある絵について解説することになったので、子供たちに分かりやすい説明文を書きなさいっていう問題。
この時点で残り時間があまりなくて
さらにぶるぶる震える右手でなんとかきったな〜い字で解答を書き終えて。
残り時間1分でした。
あぶないあぶない( ̄▽ ̄;)
そのとき、問題文の注意書きが目に飛び込んできた〜
「解答は会話調の文章ではなく、通常の書き言葉を使用すること」
え〜〜〜〜!!ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘
なんでこんなところに小さく注意書き載せてんのよ〜
なんで問題文と同じ大きさの文字で書いてないのよ〜
めっちゃ会話調で書いちゃったじゃない
チ───(´-ω-`)───ン
これってどんくらい減点されるんだろう?!
やっぱり時間配分が勝負だわ
大きい記述式からやるべきでした。
また来年もチャレンジしようかな|( ̄3 ̄)|
でも、もうやめちゃうかも(←根性なし)
自宅療養中につき美術館巡りの記事を書く 5
10月24日から仕事に復帰しました。
ゆっくりボチボチやってます。
書き溜めておいたものが残っていたので・・・
「自宅療養は終わったけど美術館巡りの記事を書く 5」です(^_^;)
日韓国交正常化50周年記念
「ほほえみの御仏(みほとけ)」
~二つの半迦思惟(はんかしゆい)像~
2016年6月21日~7月10日
東京国立博物館 本館特別5室
奈良県法隆寺の隣にある中宮寺から、弥勒様が東京に出張されてました。
東京の前は、海を越えて韓国まで出張。
大好きな仏像、弥勒様に東京でお目にかかれるなんて(#^.^#)
向かって右:半迦思惟像(韓国国立中央博物館)三国時代・6世紀
左足を下げ、右足をその膝の上に組んで座り、右手を頬に添えて思案する仏像を半迦思惟像といいます。
日本の半迦思惟像と韓国の半迦思惟像が向かい合って静かに座っています。
中宮寺では暗いお堂の中にいらっしゃる弥勒様が、ガラスケースに入って360度拝見できます。
もう・・・
見とれますね。
やっぱり右斜め横からのお顔が一番美しい気がします。
日本の弥勒様はクスノキでできています。
韓国の弥勒様は一回り小さく、金銅仏です。
やはりおだやかなお顔です。
弥勒様が奈良にお帰りになる前に、もう一度会いに行ってしまいました。
常設展でも、美しい仏像が・・・
「菩薩立像」鎌倉時代
薄く開けた瞳は水晶をはめた玉眼です。
唇にも水晶をはめて朱色に塗っているそうです。
優美な衣や天衣、首飾り、軽く腰をくねらせた美しいお姿です。
横顔も素敵
後ろ姿も美しい~
お顔のアップ
ついでに・・・
東洋館のイケメン仏像を載せておきます(^^♪
ガンダーラ系
東南アジア系
自宅療養中につき美術館巡りの記事を書く 4
「メディチ家の至宝」
ルネサンスのジュエリーと名画
2016年4月22日~7月5日
300年に渡ってフィレンツェに君臨したメディチ家。そのメディチ家のジュエリーと、肖像画などが、アール・デコの建物とマッチして、とても優美な空間を作り出していました。
階段を上った広間の壁にあった、「フランス王妃、カテリーナ・デ・メディチ(カトリーヌ・ド・メディシス)の肖像」
アンリ2世に嫁いでフランス王妃となったカテリーナ・デ・メディチ。
美しくはないけど、威厳がある姿です。
重そうなドレス。腰から裾まで下がったドレスの飾りが印象的です。
階段を上がった広間にソファがあって、ゆっくり鑑賞できました。
たくさん展示されているジュエリーは、様々な宝石を使って細かい細工が施されています。
やっぱり、こういうのを見るときは単眼鏡が役に立ちます。
親切な東京都庭園美術館では、単眼鏡を鎖で備え付けている展示ケースがいくつかありました。
そこで自分の単眼鏡で見ていたら、そばにいたおばさまから「次、私に貸して」と言われました。
「え?!あの~これ、私のなんですけど」
あ~びっくりした(^^;)
カフェで一休み。
シフォンケーキ、美味しかった(*^_^*)
豪華なジュエリーを見てコーヒータイム。
優雅な気分になりましたわ。
自宅療養中につき美術館巡りの記事を書く 3
特別公開
新発見!天正遣欧少年使節
「伊東マンショの肖像」
2016年5月17日~7月10日
東京国立博物館 本館7室
天正10年(1582年)伊東マンショら4人の少年を中心とする天正遣欧少年使節団が長崎を出発しました。
4人の使命は長崎のキリシタン大名の名代としてヨーロッパを訪問し、東の果てにある日本という国を知らしめること、またヨーロッパの教会などを見聞、体験し、その偉大さを日本に持ち帰り広めることでした。
航海途中の疫病発生や嵐など、多くの危険をくぐり抜けて、2年以上の歳月を経てポルトガルに上陸。
スペインではフェリーペ2世の歓待を受けたり、ローマでは最大の目的であるローマ教皇グレゴリウス13世との謁見を果たしました。
地球の裏側からきた少年4人は、ヨーロッパ各地で大歓迎を受けて、ローマでは貴族の待遇を受けたそうです。
「伊東マンショの肖像」は、その存在は知られていましたが、長い間行方不明となっていたそうです。
1585年、使節団がヴェネツィアを訪問した際にドメニコ・ティントレットが描いた肖像画です。ドメニコ・ティントレットは、ヤコポ・ティントレットの息子です。
この絵の伊東マンショは16歳ごろだと思うのですが、16歳とは思えない顔だちです。
当時のヴェネツェアの衣装に身を包んで、こちらを見つめています。
浅黒い肌に薄い口ひげ。
大きな白い襟までは丁寧に描かれているけど、その下の洋服の部分がおおざっぱなのはなんででしょう?もしかして未完成?
帰国後は、秀吉によるキリシタン弾圧が始まって、4人の少年の行く末もそれぞれ悲しいものだったようです。
同時に展示されていた聖母像(親指のマリア)
江戸時代のキリスト教禁制下に、イタリア人宣教師シドッチが携行していたもので、作者不明のようです。長崎奉行所旧蔵だそうです。現在は、東京国立博物館が所蔵しています。
国立西洋美術館所蔵のカルロ・ドルチが描いた「悲しみの聖母」に似ているとの指摘が。
《参考》
カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」
まあ、確かに似てるけど。
でも私は同じ作者ではないと思います。なんとなく。
どちらのマリア様も美しいですけどね。