2023年2月25日~4月9日
時は江戸時代後期。天保の改革で庶民の不満が高まっていた頃。
「源頼光公舘土蜘作妖怪図」(みなもとのよりみつこうやかたつちぐもようかいをなすず) 歌川国芳 天保14年(1843年)
一番右でくつろいでいる様子の源頼光。・・・と、見せかけて、そこに描かれているのは実は徳川家慶。その他の人物も平安時代の人物に見せかけて、実は天保の時代の幕府側の人物。そして背後にうごめくおぞましい妖怪たちは、天保の改革で苦しみ、幕府に対して恨みを抱いている庶民を描いているのだとか。
この他にも、時代を風刺した絵や武者絵などで、歌川国芳は庶民から絶大な人気がありました。
江戸から明治へと移り行く激動の時代の2大ライバル。最後の浮世絵師と呼ばれる、芳幾と芳年の浮世絵と肉筆画が多数展示される贅沢な美術展です。
館内では撮影OKな展示室もありました
芳幾と芳年が共同で制作したものに「英名二十八衆句」というものがあります。無惨絵、残酷絵、血みどろ絵と呼ばれる28枚の揃物で、どれも絵から血がしたたるような凄惨な絵です。やはり、幕末の不穏な時代を反映しているのでしょうか。
これは赤穂浪士を描いた物。なかなかの流血です。
「当世娘に聟八人」(とうせいむすめにむこはちにん) 落合芳幾 文久元年(1861年)
娘一人に婿八人とは
一人の娘に対して、婿になりたい者が多くいることから転じて、一つのものに対してそれを欲しいと希望する者が何人もいることをいうことわざ。
それを表している絵ですが・・・
いやー、こんな八人、どの人もイヤだわ〜笑
でも、よく見ると、歌舞伎役者風のちょっといい男も混ざってるけど。
芳幾は、なかなかユーモアもあったみたいですね。
芳幾は、発起人の一人として「東京日日新聞」の発行に関わり、新聞錦絵と呼ばれる記事を描きました。
「東京日日新聞 開版予告」 落合芳幾 明治7年(1874年)8月以前
羽の生えた天使が新聞を持っています。
実際の記事はというと・・・
40号 明治7年(1874年)9月
市川団十郎の「勧進帳」を見て、その演技に感心した欧米人が、終演後に楽屋を訪れて、団十郎の写真をもらって、そのお礼に巻き煙草を数本置いて行った。
913号 明治8年(1875年)1月
店の金を使い込んで破産させ、豪遊していたところを捕まえられた手代3人。こんな手代を雇っていては、店が破産するのも無理はない。
1015号
「京人形」のあだ名を持つ美人の女房は、居候と密通していた。怒った夫は、女房に大きな熨斗を背負わせ、「京人形のおもちゃをくれてやる」と二人を追い出した。
現代の新聞とは大違い。実際にあったことなのか?それともフィクションか?
どちらにしても、錦絵と読み物として面白いですね〜
一方、芳年は「郵便報知新聞」を発行しました。
第420号 明治8年(1875年)4月
非公認の売春宿が不意に摘発され、300人以上が逮捕された。これに懲りて正業に就くか、吉原などの公認の場所で働くかのどちらかである。
第650号 明治8年(1875年)8月
松之介は豊吉の後妻 きの と恋仲になった。貧困の豊吉は10円できのを譲ることにしたが、きのだけではなく、その父と娘も引き取られることを望んだ。こうして、松之介ときの、きのの娘と松之介の息子、きのの父と松之介の母の3代が同時に夫婦となった。
なんだか・・・ニュースでもなんでもなくて、どーでもいい話で笑えます。
最後は芳年の「月百姿(つきひゃくし)」
様々な人物が月にちなんだ光景とともに描かれた大判錦絵100図の揃物。残念ながら、完成を目前に芳年は没したそうです。
晩年の作品だけあって、どの絵も、構図・線・色合いなど、大変素晴らしいです。
「月百姿 石山寺の月」
石山寺だから紫式部ですね。満月の夜、紫式部が縁台に頬杖をついて、考え事をしています。源氏物語を書いているところでしょう。太い柱を画面手前に配置して、遠くにうっすらと見える山、奥行きの感じられる静かな絵です。
今回の美術展で残念だったことが二つありました。
まず、イヤホンガイド。アプリをダウンロードして、自分のスマホで自分のイヤホンで聴く、というものでした。
がーーーん( ̄▽ ̄;)!!
イヤホン持ってきてないしー
ちゃんと調べておけば良かった。
それから、出品目録。ダウンロードして、必要なら印刷してください、とのこと。美術館でもらえる出品目録が好きなので、なんだか残念。
経費削減、仕方ないのかなぁ
三菱一号館美術館は、今回のこの美術展が終了すると、大規模工事のため長期休館になります。2024年のリニューアルオープンまで、しばらくお別れです。