特別公開
新発見!天正遣欧少年使節
「伊東マンショの肖像」
2016年5月17日~7月10日
東京国立博物館 本館7室
天正10年(1582年)伊東マンショら4人の少年を中心とする天正遣欧少年使節団が長崎を出発しました。
4人の使命は長崎のキリシタン大名の名代としてヨーロッパを訪問し、東の果てにある日本という国を知らしめること、またヨーロッパの教会などを見聞、体験し、その偉大さを日本に持ち帰り広めることでした。
航海途中の疫病発生や嵐など、多くの危険をくぐり抜けて、2年以上の歳月を経てポルトガルに上陸。
スペインではフェリーペ2世の歓待を受けたり、ローマでは最大の目的であるローマ教皇グレゴリウス13世との謁見を果たしました。
地球の裏側からきた少年4人は、ヨーロッパ各地で大歓迎を受けて、ローマでは貴族の待遇を受けたそうです。
「伊東マンショの肖像」は、その存在は知られていましたが、長い間行方不明となっていたそうです。
1585年、使節団がヴェネツィアを訪問した際にドメニコ・ティントレットが描いた肖像画です。ドメニコ・ティントレットは、ヤコポ・ティントレットの息子です。
この絵の伊東マンショは16歳ごろだと思うのですが、16歳とは思えない顔だちです。
当時のヴェネツェアの衣装に身を包んで、こちらを見つめています。
浅黒い肌に薄い口ひげ。
大きな白い襟までは丁寧に描かれているけど、その下の洋服の部分がおおざっぱなのはなんででしょう?もしかして未完成?
帰国後は、秀吉によるキリシタン弾圧が始まって、4人の少年の行く末もそれぞれ悲しいものだったようです。
同時に展示されていた聖母像(親指のマリア)
江戸時代のキリスト教禁制下に、イタリア人宣教師シドッチが携行していたもので、作者不明のようです。長崎奉行所旧蔵だそうです。現在は、東京国立博物館が所蔵しています。
国立西洋美術館所蔵のカルロ・ドルチが描いた「悲しみの聖母」に似ているとの指摘が。
《参考》
カルロ・ドルチ「悲しみの聖母」
まあ、確かに似てるけど。
でも私は同じ作者ではないと思います。なんとなく。
どちらのマリア様も美しいですけどね。