昨日は姉と一緒にお出かけしてきました。
藤田嗣治、全所蔵作品展示
2015年9月19日〜12月13日
画家の死後50年は著作権が保護されているそうで。
藤田嗣治が亡くなったのは、1968年。
なので、残念ですが画像は載せられません。
「乳白色の肌」の裸婦像でエコール・ド・パリの時代に大成功を収めた日本人画家。おかっぱ頭にメガネ、チョビ髭を生やした個性的な風貌。
「五人の裸婦」
「タピスリーの裸婦」
乳白色の肌が魅力的な絵です。バックのカーテンやベッドも丹念に描きこまれていて、エロティシズムを感じます。
この乳白色、絵の具にベビーパウダーを混ぜていると聞いたことがあります。
パリの画壇で、遠い異国から来た日本人の描く魅惑的な絵は大評判になりました。個性的な風貌も、自分を売り込む藤田の作戦のひとつだったようです。自分を演出してたんですね。本当の藤田はどんな人だったんだろう?
藤田が書いたという「腕(ブラ)一本」というエッセイを今度読んでみよう〜
1940年の「猫」という作品。
白いシーツの掛かったベッドの上に、たくさんの猫が描かれています。
バックの黒の中、宙を回転する猫。
ほかの猫に噛みついている猫。
白、黒、ブチの猫。
画面の中に猫たちが大きな円を描いて、グルグルグルグル永遠に回り続けるような、それでいて、カメラのシャッターで切り取って静止しているような、そんな不思議な絵でした。
そして、戦争画。
初期の戦争画は、戦闘機や兵士がいる草地、空や雲を明るい色を使って描いています。
藤田が憧れた西洋の画家。
これらの画家の描いた群像画に倣って、藤田は戦争画という群像画を描いていたようです。
《参考》
時代がいけなかったのでしょうか。
今を生きる画家が、今の戦争を描く。
それはとても危険なことだったんですね。
もちろん戦争画を描いていたのは、なにも藤田一人だけではありません。
絵描きは絵に誠実に絵だけを描いて下さい。
仲間けんかをしないで下さい。
一日も早く、日本の画壇も国際水準に達することを祈ります。
キリスト教の洗礼を受けて
レオナール・フジタとなりました。
洗礼名の「レオナール」は、敬愛するレオナルド・ダ・ヴィンチからとったそうです。
パリに戻ってからの藤田は、また初期のような柔らかな線を使った絵を描きました。
暗い画面の戦争画は別にして、藤田の絵は細い線で輪郭が描かれてます。線の画家。
モノには輪郭線などない
藤田嗣治作品に触れたその日の夜、新聞に
映画「FUJITA」
の広告が載ってました。
面白そう〜
観に行きたい!!(((o(*゚▽゚*)o)))
美術館で時間を取ってしまったので、忙しくなりました。
次は半蔵門の国立劇場へ。
歌舞伎「通し狂言 神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」
12時開演で、終演が16時20分!
ながっ!!
途中休憩が3回も入ります。
知らなかった!!
源内先生、こんな西洋画も描いてます。
・・・話が逸れました(^_^;)
話の筋を書くと長くなるので省略しますが。
大詰の場面、お舟という娘が実の父親・頓兵衛(とんべえ)に刺され、海老反りのイナバウアー状態になるところが、一つの見どころのようです。
お舟ちゃんイナバウアーは2回あって、お客さんは拍手をするのですが・・・
そのシーンを観ながら思ったことが。
宝塚のデュエットダンスの娘役の方が、もっとイナバウアってるな〜(O_O)
まあ、宝塚と比べちゃ〜
歌舞伎の人がかわいそうですね。
歌舞伎は、ひとつひとつのシーンが長くて。
花道に引っ込むときにも、何度も何度もためにためて引っ込みます。
そこが歌舞伎のいいところなんでしょうね。
またほかの作品も観てみたいなぁ(^ν^)
とっても充実した一日でした〜